宇都宮〜栃木〜佐野〜足利

下野の中世武士団の故地を見ようと思い、栃木南部を散策した。


宇都宮
前日は宇都宮に泊まり、餃子を食って町をぶらぶらした。
宇都宮は、関白藤原道兼の子孫が、前九年の役随行した後、二荒山神社門前町に城を築いて宇都宮氏として土着したことから始まる。
藤原定家とも親交が深く、鎌倉時代前期には「宇都宮歌壇」が形成されたそうだ。
宇都宮って、多分、「いちのみや」が訛ったんだろう。
ライトアップされた石段が結構綺麗でした。
http://www.genbu.net/data/simotuke/hutarayama2_title.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E4%BA%8C%E8%8D%92%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE



栃木
翌日は、午前中栃木駅を降りて、明治期まで舟運で栄えた町並みを散策した。
前に行った佐原(千葉)や登米(宮城)と違って、観光化が徹底されず景観も統一されていないけど、その分勝手に見て回って色んな生活感に耽る事ができる感じ。
それと、意図のよく分からない、分水したり曲がりくねったりする奇妙な堀割が、とてもこの町っぽい感じがした。



【松本床屋】
創業明治8年だそうだ。看板は竹久夢二風のデザイン。



【入船公民館】
路地を入ると、お堂のような櫓のような建物があったので写真取った。
中からは、おばあさん達がガヤガヤ話ながら掃除機をかける音が聞こえた。

帰りがけ、表にまわったら、公民館だった。

中をのぞくと、大日如来なんとかかんとかと書いてあった。大日講の集会場が、公民館になったのだろうか?
http://www.kirari1000.com/original/00100a/base_data/dainiti.html


【平柳河岸】
木材を深川の木場に運ぶ中継地だったとのこと。今も残っている河岸はこれだけだそうだ。

http://www.doboku.shimotsuke.net/uzumagawakasiato.html


【土倉】
階段がついている建物は土倉なのだけど、朽ちたトタン板で覆われている。
トタン板のがカッコイイ時代があったのだろうか・・。



佐野(唐沢山)
午後は、両毛線佐野駅で下りて、藤原秀郷の故地を、ママチャリを借りて走り回った。



【唐沢山方面(佐野荘)】

伝説では、藤原秀郷は近江の大ムカデを退治したあと、下野国押領使に任ぜられ、唐沢山城を居としたらしい。



【清水城跡(現・興聖寺)】
徳川時代まで生き残った、藤原秀郷の後裔(佐野氏)の中世の居館。
周囲100M四方は土塁に囲まれ、中世の居館の面影をよく残している。

土塁の周囲には堀の名残がある。

http://www65.tok2.com/home2/yogokun/tanumamati.htm



藤原秀郷墓】
清水城の近くにある古塚。



【唐沢山城天狗岩−赤城山榛名山方面】
標高241Mをママチャリ引っ張るのはしんどい・・というか、恥ずかしかった。

【唐沢山城天狗岩−東京方面】
13州が見渡せ、天気が良い日は東京の高層ビルも見えるとのこと。

【唐沢山城−二の丸から本丸方面】
石垣が当時のまま残っている。

帰りの下り坂をママチャリで一気に駆け下りるのは、かなり爽快でした。
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Tochigi/Karasawayama/index.htm



帰り道、赤見屋という佐野ラーメンのお店があった。有名なのだそうだ。
スープは醤油と鶏ガラ系のあっさり。550円だけど、麺は普通の倍以上入っている。
麺がバサバサとして密度があるが、時間が経ってもフヤけないし、あっさりしてるので、いくらでも入る感じ。
http://www.01ch.com/ramen/akamiya-honten.html



足利
足利で降りて、日本最古の学校を見た。
足利学校-方丈】
学生が利用したメインの校舎。教室の間取りは50坪くらい。講義ではなく自習方式だったそうだ。

足利学校-書院】

足利学校-坪庭】

奥の広間が方丈。足利学校の起源は奈良時代の役人養成学校かもしれないが不明、再興したのは室町期の関東管領上杉憲実。
江戸時代は寺社の扱いで幕府の保護を受けたとのこと。



鑁阿寺(ばんなじ)−山門】
源義家 を曽祖父に持つ足利義兼が、館跡に建てたと云われている。

鑁阿寺−橋と堀】
100名城にも上げられている。200M四方で、先ほど見た清水城よりかなり広い。

鑁阿寺−多宝塔】

http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/000index_data/200sanmeisyo/020bannaji/bannaji.html



北関東は、(藤原系足利氏を除き)平安末期の武士団が戦国期まで生き長らえ、古河公方の下で合従連衡を繰り返していたようだ。南関東の武士団が南北朝〜室町期にかけて、大きく入れ替わったのとは随分違う。自分の地元の神奈川県西湘地区は、同じく藤原秀郷の子孫を名乗る土豪が多く分布していたが、後北条氏の家臣となった松田氏を除き、南北朝の動乱で途絶えた。